私はバイキング料理が苦手である。
「どうだ! 好きなものを好きなだけ勝手に食べられるだろう」という食事である。何故苦手か?
まずバイキング料理は遅く行ってはダメだ。残りものを集めて食べなくてはならぬ。
カラスの朝の食事みたいになってはいけない。
開始時間の前に行けば新鮮で良いのだが、連れがいることもあるので、いつも一番混んでいる時になってしまう。
料理を取るには前の人と後の人がいる。
お互い変な人とも思われたくないし、迷惑をかけたくない。
例えばカマボコを摘むとする。
一切れにするか、思い切って三切れにするか、やめておくか、瞬時に判断しなくてはならない。
しかも摘む道具はピンセットのでかいやつが置いてある。
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これで簡単に掴めるのか? もし、もう一枚くっついてきたらどうする?
一度に三枚とれるのか。
先のとがった箸なら必要数を瞬時に分離できるのだが…。
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また、バイキングの場合、料理を取る道具が良くないだけでなく、動きが無駄だらけである。
一切れの物を取るのに一つの専用の道具を使わねばならない。
例えば十種類の物を取ろうとすると、十回道具を持ち替えているのである。
つまりカマボコ専用の皿から自分の皿に一切れだけ移すために
A. 専用道具を手で持つ
B. カマボコ専用の皿から自分の皿に一切れを移す
C. 道具を次の人のために静かにきちんと戻す
の動作(工程)がある。
工場のものづくりの現場から見ると、この場合、食べ物の移動だけが本当の仕事であり、セット時間、
つまり道具を「持つ・置く」は無駄であり、どうしたらこれをゼロに近づけるか。
つまりAとCの工程を少しでもなくせるか考えなさい。
「カイゼンは無限 カイゼンに終わりなし」といつもやっているのである。
ところで私がやっと時間をかけて取り皿に盛り付けたバイキング料理は、お世辞にも他人が食欲をそそる姿ではない。
そしてごはんなら適量がわかるがおかずが多すぎるので、いつも食べ過ぎてしまい、塩分、糖分など考えるヒマもない。
その結果、自己責任かも?と考えながらもある意味の自己嫌悪になる。
昨日や今日の旅の楽しみをゆっくり語るというより少しでも早くこの場を立ち去りたくなるのである。
バイキングがヒドイと思っているのは私だけだろうか?
「取り箸」は日本だけのマナー?
さいたま市立島小学校の齋藤先生は「私は常日頃、子供たちに『代案が示せない批判は、批判として無効である』と教えてきた」という。
小学生にですぞ!
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箸は表面面積が最小の食器具である。
ごみがつきにくいだけでなく、洗いやすい。 収納も楽。
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私は大の大人。
代案を考え続けた結果、ピンセットのでかいのでなく「取り箸」を使うことがよいのではないか。
「取り箸」は日本だけのマナーであり、直接食べる時の「直箸」でなく、取って移すための箸である。
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中国で仕事をしていた友達によると、仲間で中華料理店に行った時、肝炎が怖いので
「すみません、箸をもう一つ下さい」と「取り箸」を要求していたという。
しかし、最近は中国もSARS問題が怖いので「取り箸」を使うようになったらしいとのこと。
ところで、この「取り箸」は英訳すると何がいいだろうか。
箸のことはチョップスティック。「取り」は? さて?
バイキングで「取り箸」を客にどう使ってもらえるか?
まず最初に「取り皿」と共に「取り箸」を客に持ってもらえばよい。
そして最後の工程のあたりに「取り箸置き場」の表示をすればよいのではないか。
「直箸」は必要なら従来どおりにすればよい。
そうすれば今まで5分かかっていた取り皿時間が半分以下になるのではないか?
箸の食事はナイフ、フォークや大型ピンセットに比べると、静かで、清潔で動きに無駄がない。
これを「カイゼンバイキング」などと名付け、琴、尺八や太鼓の音楽を流せば、心ある外人も興味を示すのではないだろうか。
これは私だけのアイディアであるが、プロジェクトチームをつくり、もっと楽しい食事を提供すべきである。
ものづくりの原点は箸使い?
今、日本は海外へどんどん出て行くが、海外から日本に来る人は数分の一しかいないという。
観光立国どころか、むしろ観光貧国だ。
観光業者が日本文化を学ばなかったのではないだろうか。
誇りをもってわかりやすく外人に伝えなかったからではないだろうか。
このデフレの時代、日本は物価高という理由がもう当たらなくなったと思う。
日本はものづくりの総合体である「カイゼンのトヨタ」など車の輸出をし、食料や資源のほとんどを輸入している国だ。
ものづくりの原点は3歳の時から箸を使う手先の器用さと、とことん無駄を省いた箸による和の料理であると思う。
※詳しくはこちらをお読みください
平成16年4月
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