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日本の文化を味わい、世界の心を豊かにする箸 No.27

「メニューインと箸」

『スローライフ』より抜粋

この本は「秒」に追われるニュースキャスター筑紫哲也さんならではの痛切な問題意識に立って、 「スロー」に生きることの意味と可能性を食生活、教育、旅などの実例から考えています。

箸を使うことによって生まれた日本人の手の器用さについての記述をここに紹介いたします。


「スローライフ」
筑紫 哲也著 (岩波新書)
定価(本体700円+税)

「メニューインと箸」という話を私は時々することがある。

ユーディ・メニューイン(1916−99)はヴァイオリンの名手として世界的に知られた人物だが、 敗戦後の日本にやって来た最初の一流演奏家でもあった。 1951年(昭和26年)。

戦争が終わって6年しか経っておらず、焦土のなかから起ち上がったものの、食糧も十分ではなく、 人々は文字通り「食うや食わず」の暮らしをしていたころである。

今でこそ、世界の一流アーティストが来日するのは珍しいことではなく、 文化・アートのニュースに過ぎないが、敗戦直後の貧困国では、それは社会的な「事件」であった。

東京で彼を迎えて演奏会をやれる会場は、焼け残った日比谷公会堂しかなかった。

そこからあまり遠くない有楽町の焼跡ガード先で靴磨きをしていたおじさんが、 一生懸命に靴磨きに励んで、貴重な切符を一枚手に入れたという“美談”が新聞の社会面に大きく載った。 当時、靴を一足磨くと10円、この靴磨きが手に入れた切符は700円だったから、 70足余分に精出したことになる。

この「歴史的演奏会」の記憶は、そこに出かけることなど思いも付かない少年だった私もふくめて、 多くの人たちに共有されていた。

国も人も世界有数の豊かさを得ることになって、 同じ演奏者、同じ演目、同じ会場で、 それを再現しようという話が持ち上がったのは当然の道筋であったろう。

こうして来日したメニューインに私が会ったのは、 当時とは見ちがえるほど高層ビルが立ち並ぶ東京のまちが見渡せるホテルの一室だった。

「すっかり変わったでしょう」という私の問いにメニューインは言った。

「たしかに見た目の光景は変わった。しかし日本人はそう変わらないと思うね」

そして彼は、変わらないと思う理由(条件)として私が予想もしなかったことを口にした。

「日本人が箸を使い続ける限り――」

メニューインがイギリスで「サー」の称号を与えられ、 世界的に尊敬の対象となったのはもちろんヴァイオリンの妙技あってのことだが、 自ら音楽院を創設して後進の音楽家を育てたことも大きい。 条件的に恵まれなかったアジアの才能の発掘にも熱心だった。 なかで日本人の子どもや若者が、どうして細やかでデリケートな指使いに秀れているのか、 考察の末の結論が「箸」だったらしい。

音楽家のメニューインは、演奏の際に示す日本人の手先に着目したのだが、 実は日本の経済発展、近代化にも、これは大きく関係している。

開国した日本の主要輸出産品、絹・織物、瀬戸物(陶磁器)は日本人の手先の器用さが生み出したものだった。 この器用さはマガイもの、真似もの(模造品)を作る能力にも通じ「メイド・イン・ジャパン」は、 「安かろう、悪かろう」の代名詞になった時代もあった。 が、その評価を逆転させたのも、同じ能力だった。

敗戦の瓦礫のなかから復興する過程で、まず声価を高めていったのは、 トランジスターラジオ、時計、カメラ、精密機械など、日本人の手先の器用さが活きた製品だらけである。 自動車、テレビ、造船、鉄鋼など、より大きな製品であっても、 それを構成する「部分(パーツ)」の精密、正確さが「メイド・イン・ジャパン」の優位性を支えてきた。 これも細かいところまで手(指)が届くという能力と無縁ではない。

「日本人は変わらない」というメニューインの託宣を聞いて、私はむしろ不安になった。 「箸を使う」ことがその条件だとしたら、その習慣はかつてのようには保たれてはいないし、 さらに“退化”が進むのではないかと思ったからである。

箸を使う民族は中国を筆頭に他にもあるが、 チョップスティック(chopstick)という英語名が示すようにスティック、 つまり「棒」のように用いることが多い。ところが、何事も加工、工夫を凝らすことが好きなわが先祖たちは、 二本の棒の間に中指を挟むことで微妙な「箸使い」を編み出していった。 子どものころから家庭でそれをしつけることも普通だった。

私の不安は、その後ほぼ的中していった。箸使いを教えられず、 箸をうまく使えない子どもたち(やがて大人になる)は増え続けていった。 それどころか、他のことでも手先を使うことが激減し、 「もの作り」の現場では手先の器用さという日本人の優位性は消え失せた。 世界的な時計メーカーの場合、かつてはアジア地域の工場での生産効率(能力)は日本国内の工場の70%だったが、 今では、1.2倍から2倍。つまり、国内がアジアの80%から50%しかない。 細かい手仕事には向かない「無器用」な国になっているという。

箸がうまく使えないどころか、箸を使う機会がめっきり少なくなったのは、 食生活が大きく変わったからである。(後略)

私も子どものころ遥かかなたのヴァイオリニスト、メニューインの名前を聞いたことがあります。 この人が来日し、取材したのですね。 日本人の箸使いとものづくりの関係を大きな視点よりとらえてくれました。 さすが筑紫哲也氏。

我が箸考会は箸の持ち方を教えたい人だらけです。 しかし、箸を使う機会がめっきり少なくなった結果、教えたくても「箸の持ち方なんかどうでもいい」 「うちの娘にそんなこと教えなくてもいい」という人も出てきました。 そんな時、どんな短い殺し文句なら本気になって憶える気になるだろうかと皆で考えているところです。

テレビ番組でもヒドイ持ち方をしているタレントがいますね。 スポンサーが認めているからです。 スポンサーもタレントもまずその気になることが大切だと最近やっとわかりました。 (小宮山 記)

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